いま、バブル経済を考える
「バブル経済」怪物は米国によって生み出され、
大手銀行の手で育てられた。
バブル経済のはじまりは一九八五年の「プラザ合意」。その仕掛人は米国。その目的は急激なドル高だった当時の為替市場を、米国の政治力をもって強引に円高ドル安基調ににかえることだった。
当時、米国の呼び掛けに先進国はニューヨークに集い(日本も)、米国の主張を承認。この日を境に為替市場は円高ドル安に一変、米国はドル安を背景に、ここぞとばかりに輸出を拡大、同時に貿易赤字まで解消した。これこそが米国の戦略だった。そしてその戦略にはさらに続きがあった。
一方の当事者である日本では、庶民は円高により海外旅行が身近になったと喜んだものの、輸出産業は停滞から衰退へ。やがて、高価となってしまったメイド・イン・ジャパンは消え、安価なメイド・イン・コリアやチャイナが世界どころか日本国内にまで溢れる始末。
そして日本経済は坂を転げ落ちるように・・・、と行くかと思いきや、なぜか日本は空前の好景気と坂道を駆け登ったのだった。
当時の日本企業は高度成長期によって儲けた資金がダブついていた。それらは大抵、米国債などで運用されていたが、「プラザ合意」によって為替市場は流動化し資金運用にリスクと不安定要素が生じた。堅実な日本企業は価格の安定した国内の土地や証券に資金の運用先を移し、土地と株を買い漁った。そのため、地価と株価は高騰し、主婦までが株式投資で財テクを行なうようになった。
典型的な「バブル経済」の誕生である。
これに乗じたのが「大手銀行」である。
彼らは「土地神話」なるものまでねつ造し、「一炊の夢」のなかの価値であった地価と株価を「担保」として、自らの業績であるところの「借金」づくりにせっせと精をだした。
結果、世に出回った「現ナマ(借金)」こそが、日本経済をさらに狂乱の深みへと導いて行った。
しかし、所詮はひとの借金によってなされた「一炊の夢」だった。
夢から醒めれば、地価と株価は雲散霧散し、目の前に在るのは巨額の借金だけだった。煽りに煽った銀行はといえば責任を感じていると思いきや、一斉に「貸し剥がし」に走った。個人保証によって追い詰められた自殺者の数は三万人を超え、倒産件数も失業率も過去最悪を樹立し続けた。
そんななか、庶民の味方であるはずの自民党は大手銀行に公的資金を注入しても「貸し剥がし」の罪には目をつむった。もともとは米国の戦略に折り込まれていた我が国の「バブル経済」とその「崩壊」。失ったものはあまりにも大きすぎていまだ我が国は迷走を続けている。